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宮澤佐江について

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公式プロフィール


名前 宮澤佐江
所属事務所 office48
愛称 さえ
生年月日 1990年8月13日
星座 獅子座
出身地 日本 東京都
血液型 O
趣味 歌・手紙を書く
身長 164cm
所属グループ AKB48SNH48DiVA

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宮澤佐江について




キャッチコピーは「チームKの元気のみなもと」、「ゲンキング」、「陽気・無邪気・元気」
AKB48内では、ボーイッシュキャラで通っている。
情に厚く、宮澤自身が通っていた学校の卒業式では入場の時点で泣いてしまう。
AKB48メンバーの卒業時などは当人より泣いてしまうなど涙もろい面もある。

家族構成は、両親と兄2人(7歳上の「りょうじ君」と、5歳上の「しーちゃん」)と、本人。
父は『ママとあそぼう!ピンポンパン』の3代目お兄さんを務めていた宮沢芳春。
AKB48ではしっかりしているという評価を受けるが、家族内では甘えん坊でわがままな末っ子キャラ。

「一に挨拶」「気持ち良く挨拶しようと心がけている」ため、周りへの挨拶や礼儀を欠かさない。
番組スタッフからは「笑顔気配りNo.1。彼女の事を悪く言う人は、メンバーは勿論スタッフも含め見たことがない」
「仕事をしたスタッフは、皆彼女を好きになります」などと評されており、
総選挙司会者の徳光和夫は、彼女の挨拶や楽屋の所作などについて
「目配り、気配り、心配りの3拍子が揃っている」と褒め「息子の嫁にしたいメンバー第1位」とした。



メンバーからは後輩も含め「佐江ちゃん」と呼ばれている。
そのほかの愛称は、主に「さえたむ」「さえぽ」。倉持明日香からは「ぽっちゃん」と呼ばれている。
私服についてメンバーからの評判は悪くないものの、ファッション関係者からは酷評されがちである。

AKB48初代「イケメンガール」
男役として挑んだ『AKB歌劇団』での村雨ルカ役、『マジすか学園』での学ラン役で
そのイメージを定着させ、2011年4月に配信された『男装電子写真集』がダウンロード数1位を獲得。
メンバーから「イケメン」「男」、河西智美、佐藤亜美菜には「王子様」等と呼ばれる。
「佐江ちゃんを好きになるのは皆が一度は通る道」
「佐江ちゃんはホントにメンバーにモテる」
「松井珠が『カッコいい』とずっと言ってた」
「北原が恋する乙女の眼差しで見ていた」
「倉持明日香が一緒にいたいためだけに寝れないと言って部屋に行った」
「みんなの彼氏」
と称されるなど、メンバーの人気者でもある。

後輩の面倒見が良く、倉持明日香が
「体調不良や悩み事がある、不安そうにしているメンバーに気づくのが誰よりも早い」と語っている。
研究生やSKE48、NMB48の後輩メンバー内では、最も人気のある先輩メンバーとしてよく名前が挙がる。


好きな男性のタイプは俳優の瑛太。
包装紙が好きで、包装紙のニオイだけでご飯が何杯でも食べれる。



宮澤佐江の歴史




宮澤佐江は日本の首都、東京で生まれ東京ですくすく育ちました。

両親と2人の兄、そして大好きなおばあちゃまに囲まれた家族に愛され、
持ち前の元気さと溌剌さから明るい人間へと成長していきました。







その明るさから、小学生のときから友達の中心の輪にいましたが、
中学に入学すると、ひょんなことから同級生によるいじめにあってしまいます。

同じバスケ部の親友までも口をきいてくれなくなり、陰口や直接的ないじめを受け、
部活(バスケ部)の練習も隅で練習するようになり、とうとう不登校になってしまいます。






そんな誰も信じられなくなった彼女を支えた人間が、2人います。




1人目は、大好きなおばあちゃま。
おばあちゃまは自分も過去にいじめられた経験があることを話してくれました。

スカートをズタズタにされたり、体操着をゴミ箱に捨てられたりと…
佐江ちゃんは、今の自分のいじめなんかより全然辛かったんだと思いました。
自分いじめられた経験を話すのは、どんなに時がたっても楽ではない、と
佐江ちゃんは語ります。

孫を励ますために、自分の経験を話したのでしょう。
そして、父と母、二人の兄などにも励まされ、佐江ちゃんは再び登校をする決意をします。






そして、二人目は恩師であるバスケ部の先生でした。

家族の力でバスケ部の練習試合に向かうことを決意した佐江ちゃんに対し
まだ1年生でレギュラーになれていなかったのに、彼は出場命令を出します。
実力の乏しかった彼女が連発するミスに対し、彼はなんと「辞めろ」等の厳しい罵倒を繰り返します。
「先生だけは味方だと思ったのに…」と思いながら、試合は終了。



恥ずかしさと屈辱に号泣する佐江ちゃんに、先生は近づいてこう声をかけました。

「よく最後まで試合から逃げ出さなかったな。
先生は佐江が逃げ出したりするような奴じゃないって信じてたよ。
本当のお前は、どんなに辛かったって、逃げ出したりするようなことは絶対にしない。」


荒療治ではありましたが、
佐江ちゃんはこの経験を経て1年間のいじめから逃げる事を無くしたそうです。
恩師である先生は言います。



「佐江はいつも頑張り屋さんで、とっても辛い事がたくさんありました。
悔しかったろうけども、でもここで逃げ出すわけにはいかないんだ。
そんな気持ちで、最後まで涙をこらえて戦っていった姿、今でも忘れません。」






中学の卒業を控え、14歳となった彼女は
2005年7月に行われた「AKB48プロジェクト」オープニングメンバーオーディションを母の勧めで受ける事になります。
当初の理由は「受験をしたくなかったから」「ドラマに出たかったから」といった軽い衝動からでした。


しかし、書類が〆切に間に合わず1期メンバーには入る事が出来ませんでした。
半年後に行われた「2期生」のオーディションを受け、見事メンバーとして選ばれる事となります。
「1期生ではなく2期生」としてAKB48に加入したのが、運命のイタズラともいえるかもしれません。




実はこの2期オーディションにおいても、彼女は支配人に一度書類で落とされていた裏話があります。
「鼻が変」という理由だったそうですが…

そんな事実とは裏腹に、オーディション終盤に彼女とある一人のメンバーが
育成に関わった夏まゆみと総合プロデューサー秋元康に2期生代表として指名されました。
「1期生にない凛々しさを持っている」という2期のチームカラーが生まれた瞬間…
そして、後に「永遠の相方」と自称する秋元才加との運命の出会いの瞬間でもあったのです。



2期生メンバーによる"Kチーム"が誕生しました。








厳しいレッスンを越え、Kチームはいよいよ初の公演を向かえます。
公演は『Partyが始まるよ』。1期生のAチームがオリジナルの公演でした。
Aチームの初日公演とは対照的に、Kチームの初日公演はなんと満員という快挙でした。





そしてこれが、Aチームからすれば気に食わないことこの上なかったのです。
初日ガラガラの公演を必死の努力で満員にさせた思い出の公演を使って、
全く知らないメンバーが初日で満員を達成させていることが。


しかしこれを考えていたのはAチームのメンバーだけではなく、ファンも同じでした。
初日に来た客も「お試し」で来ただけで、目に見えて空席が目立つようになっていったのです。
2つのチームは比較されるため、お互いを「ライバル」「コンプレックス」として感じてしまうようになります。






それとは別に、Kチームには別に危機感が生まれます。
目の前で「もうこないから」「しょせん2軍だな」「初日満員のKは苦労してないから」と言われ続け、
"このままじゃ私達はファンに見放されてしまう"という崖っぷちに追い込まれたのです。

これを機に、Kチームは公演終わりに毎晩集まって、話し合いを重ねたといいます。
楽屋のボードには『Kにしか魅せられない事をやろう』『ステージに感謝しよう』と
話合いで決められたことを書いていき、誰よりも情熱のあるチームへと成長していきます。

時には衝突することもありましたが、それがきっかけとなり本音をぶつけあえる骨太のチームとなり、
次第にKチーム固有のファンがつくようになっていったのです。


1期生のファンに徹底的にダメだしされ続けたことにより
Kチームのメンバーたちの結束力は次第に強くなっていったのです。








2006年7月に彼女たちにとって嬉しい話題が現れます。
2nd Stageとして「青春ガールズ」公演という完全オリジナルの公演が秋元康より与えられたのです。



常にチームAのパフォーマンスと比較されてきた彼女たちからすると
自分にしかないポジション、自分にしかない曲は誇るべき出来事でした。
宮澤佐江、秋元才加は引き続き中心メンバーとして2nd Stageへと進みます。




佐江ちゃんはこの公演のユニット曲で強烈なキャラクターを表現することになります。
その曲目は「Blue rose」。当時も今も、AKB48内で人気を誇る有名曲です。




「ハードロックな曲調」とスタンドマイクパフォーマンスなどは
チームAには決して無かったオリジナリティを持っていたのです。
その容姿、そしてこの曲などから徐々に彼女の「ボーイッシュキャラ」が確立されていきます。







ようやく自分達のオリジナル曲を与えられて一致団結するチームK。
しかし、徐々に仲の良くなってきたチームの中でどこか浮いていた存在が大島優子でした。




幼いころから子役として芸能界に身を置いていた彼女は
1期生を含む当時のメンバーの中でも、異質でありプロフェッショナルな空気を出していました。

「アイドルグループは本当に仲が良いのか」「どこかで足を引っ張られるんじゃないか」という不安。
チーム会議で「私、みんなの事をまだ信用してないから」と思わず漏らしてしまうほど、
彼女は真にはチームメイトに打ち解けてはいなかったのです。
結局優子が真にチームに心を打ち解かすまで1年以上かかったといいます。



「フォトブック優子」には、佐江ちゃんがある日、才加と優子の二人に

"私、2人のことは親友だと思ってるから。"

と言ったこと、優子に佐江、才加という居場所が出来たことが書かれています。
2011年の優子の誕生日の佐江ちゃんブログには、いつからかその「親友」を優子が
「心友」と書き換えて居た事が語られています。
(→http://ameblo.jp/miyazawafamily/day-20111017.html




そして、AKB48の1期生と2期生はインディーズからついにメジャーデビューを果たします。
1stシングル「会いたかった」から、AKB48特有のシステムである「選抜」が生まれます。
大所帯のメンバーの中から歌を歌えるメンバーが、限定的に選ばれるのです。





「会いたかった」ではチームKから秋元、梅田、大島、小野、河西、小林、野呂、松原、宮澤が選抜されます。
今でもAKB48を代表する1曲ですね。




そしてチームA、チームKの固有のファンのいざこざもあり
「1軍と2軍」「ライバル」という関係を払拭しきれなかった1期生と2期生の間に
雪解けを意味する出来事が立て続けに3つ起きます。


1つ目は2006年11月に開催された「ファーストコンサート 会いたかった~柱はないぜ!~」です。
チームAがチームKの曲を、チームKがチームAの曲をシャッフルして行うという試みに対して
振りが分からないチームAメンバーはチームKのオリジナルメンバーに身振り教えてもらう他ありません。




チームAとチームKのメンバーが一緒になって互いのチーム楽曲を披露する…
今までに無かった試みがファンやメンバーにも効果絶大となって表れたのです。
宮澤佐江ちゃんは篠田麻里子、秋元才加とともにチームA1st「キスはだめよ」を披露。




AKB初のコンサートが彼女達やファンにとっても大きな意味を持つものとなりました。






2つ目は3期生…すなわち「チームB」が誕生したことです。

チームBの最初の公演はチームKが自らの力で人気を作り上げた「青春ガールズ」公演。
熱血体育会系のKとは違い、つかみ所のない幼さが客にうけ初日から人気を博しました。
つまり、チームKはチームAが体験したことをそっくりそのまま体験したことになったのです。

チームAとチームK、ファンも含め互いのコンプレックス関係は解消されていきました。
それでも、0からAKB48を作り上げた1期生の功績は2期生には計り知れない物…
わだかまりが無くても、佐江ちゃんは1期生に敬意を込め、未だに「チームAさん」と呼んでいます。









そして3つ目は「ひまわり組」公演がスタートしたことです。
「ひまわり組」とはチームA、チームKを一旦解体して1期生と2期生を入り混ぜて行った公演。
AとKで今までにない化学反応が起きることを目的とした試みでした。

しかし、「ひまわり組」公演のスタートはチームKにとってしこりでもありました。
当時のチームKの公演3rd Stage「脳内パラダイス公演」でした。



佐江ちゃんのユニットは「君はペガサス」!
秋元、佐藤夏、野呂ら4人で貴族風の衣装に身を包む、彼女にしかできないユニットでした。




「団結力」「体育会系」「絆」
逆境から全員で抜け出し、苦境を経験したことでチームの団結力はピークに達していました。
そこで突如、チームKの一時的な解体…更に追い打ちをかけたのはチームK初期メンバーである
今井優と高菜彩ら2名が、6月の「脳内パラダイス」千秋楽で卒業してしまったことです。






今井優の卒業に誰よりも落ち込み、前を向けなかったメンバーがいます。
佐江ちゃんが一緒に高校を探して、同時に同じ高校の同級生でもある佐藤夏希です。




そんななっちに佐江ちゃんはこう叱咤したそうです。

「優ちゃんが卒業して悲しいのはなっちだけじゃないんだよ…
悲しいのはみんな一緒で…。それなのに、「自分だけだ特別に悲しいんだ」
みたいに前を向かないのはずるいよ!」


なっちはその一言をきっかけに、いつまでも下を向いちゃいけないと思ったそうです。
同級生である二人の信頼関係がなければ言えない、エピソードですね。






こうした紆余曲折を超え、いよいよ「ひまわり組」公演が始まります。

1st Stage「僕の太陽」で佐江ちゃんは、「愛しさのdefense」という
セクシーで艶な曲を板野友美、佐藤夏希と披露しました。




2nd Stage「夢を死なせるわけにいかない」では
前田敦子、佐藤夏希とともに「初めてのジェリービーンズ」のユニットを担当。
「愛しさのdefense」とはうって変わって、ポップではじける元気さを見せてくれます。












ひまわり組公演を行っていく上で、卒業生などのアンダーとして
4期生ら研究生がチームA、チームKと同じ舞台で共演する機会がやってきます。
4期生研究生だった倉持明日香は、大先輩に囲まれた中で研究生が自分だけだった日を経験しています。




倉持はモバイルメールで当時のことをこう振り返っています。


タイトル「ぽっちゃん」

「ひまわり組1st2回公演のとき唯一の研究生だったもっちぃが
休憩時間に一人になったときに「一緒に話そうよ」って誘ってくれて、
お昼ご飯一緒に食べてその休憩時間中もずっと一緒にいてくれた。
そのときからぽっちゃんがいると安心できて、大切な存在」




同じチームで同期である佐藤夏希や秋元才加、大島優子などとは本気でぶつかり合い、
先輩である1期生にはどんなときでも常に敬意を忘れず、
後輩メンバーには優しくそっと寄り添って、自分が入口になってあげる。

体育会系らしい情熱と、ふとしたところに気配り出来る部分が
彼女がメンバーからもファンからも愛される大きな理由であるような気がします。





AKB48について



東京都千代田区・秋葉原(外神田)に専用劇場であるAKB48劇場を持ち、
「会いに行けるアイドル」をコンセプトに、専用劇場でチームごとに日替わりでほぼ毎日公演を行っている。

メディアを通した遠い存在だったアイドルを身近に感じ、
その成長していく過程をファンに見てもらい、ともに成長していくアイドル・プロジェクトとされている。
人気の上昇に伴って本業以外でも個々で活動するメンバーが増えている。


2005年12月8日、AKB48劇場で初公演を行い、
2006年2月1日にシングル「桜の花びらたち」でインディーズデビュー。
同年10月25日にシングル「会いたかった」でメジャーデビュー。
2007年にはいわゆる「アキバ枠」で「第58回NHK紅白歌合戦」に出場するものの、
当時は「秋葉原のオタク向けアイドル」というイメージが強かったこともあり、
世間の関心は薄かった。

しかし、2008年の10thシングル「大声ダイヤモンド」あたりから徐々に人気が高まり始め、
2009年には14thシングル「RIVER」にて初のオリコンウィークリー1位を獲得すると、
その翌年からは次々と大ヒット曲を生み出し、メディアから「AKB現象」「国民的アイドル」
と呼ばれるほどの人気となった。
2011年には22ndシングル「フライングゲット」で日本レコード大賞を受賞。
また第26回日本ゴールドディスク大賞においても、
邦楽部門にて「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。


CD総売り上げは、2011年10月26日の23rdシングル「風は吹いている」発売初週の時点で1034万枚となり、
日本の女性グループとしては4組目の1000万枚突破を記録、
21世紀にCDデビューした日本のアーティストでは最高売上を記録している。

非常に大勢のメンバーが在籍しているのが特徴。
結成当初は24人であったが、メンバーの加入や卒業(脱退)が繰り返され、
2012年現在では正規メンバーと研究生を合わせて100人近い大所帯となっている。
「AKB48」というグループ名からメンバー数は48人であると誤解されることもある。

また、SKE48・NMB48・HKT48・JKT48・SNH48などの姉妹グループが存在する







AKB48公式ホームページ
http://www.akb48.co.jp/

AKB48公式新狼微博
http://e.weibo.com/akb48cn?ref=http%3A%2F%2Fwww.snh48.com%2F


SNH48について



SNH48は、AKB48の持つ「会いに行けるアイドル」という理念をもつ、
上海で生まれた、中国のオリジナル大型アイドルグループ。
作詞家秋元康を総合プロディーサーとして、
AKB48グループの運営チームからの技術的なサポートとアドバイスを受け、
育成することでAKB48の理念を継ぎ、AKB48、SKE48、NMB48,HKT48,JKT48に次ぐ、
新たな48アイドルグループとして誕生した。

13億人におよぶ中国国民の中から才能を選抜し、スター育成の最先端の近代的な手段をフル活用し、
かつ健康的であり進歩的である青春時代の若々しい活力にあふれた、
国際的影響力を持った中国一のアイドルグループになることを目標としている。


第1期のメンバーを募集し、約3万8千数名の応募者の中から、
成都、杭州、広州、北京、上海の5地にて面接審査などを行った。
10月14日に、正式に第1期メンバーのお披露目が行われた。



SNH48公式ホームページ
http://www.snh48.com/

SNH48公式新狼微博
http://www.weibo.com/snh48cn?s=6cm7D0


秋元康について



1958東京生まれ。作詞家。

高校時代から放送作家として頭角を現し、『ザ・ベストテン』など数々の番組構成を手掛ける。
83年以降、作詞家として美空ひばりの『川の流れのように』をはじめ、
中島美嘉『WILL』、EXILE『EXIT』ほか、数々のヒット曲を生む。
08年11月、ジェロ『海雪』で第41回日本作詞大賞受賞。
09年12月、第51回日本レコード大賞・特別賞をAKB48とともに受賞。
91年、松坂慶子・緒形拳主演『グッバイ・ママ』で映画監督デビュー。
企画・原案の映画に『着信アリ』など。
05年4月、京都造形芸術大学教授就任。
07年4月、同大学副学長就任。

TV番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』などの企画構成、雑誌の掲載など
多岐に渡り活躍中。
アイドルグループ"SKE48""NMB48""HKT48""JKT48""SNH48"の総合プロデューサーも務める。
著書に、小説『象の背中』(扶桑社)、『企画脳』(PFP文庫)ほか多数。

日本放送作家協会理事長。
日本音楽著作権協会(JASRAC)理事。